こんばんわ、こうたです。
BLOG開設から4日目です!
なんとか、三日坊主にならずにすんだぞー!(ぱちぱちぱち)
今日は仕事が早めに終わって余力があるので、このBLOGを作ったときに、1番に書き残しておきたいと思っていたテーマについて書いていこうと思います。
高校の生物で、ダーウィンの進化論を勉強したときのコト。
生物は自然環境の中で淘汰されて、生存に有利な優秀な遺伝子が残っていくことで、進化してきた、ってヤツ。キリンの首が伸びたり、象の鼻が長くなった理由は自然選択説で説明できるんだよ、と先生は言いました。
これを聞いた高校生こうた少年は思ったわけですよ。
「じゃあ僕たちゲイは、人間という種の中に必要ない存在なんじゃないか」
・・・ってね。
種の目的が、優秀なDNAを運んで繁栄していくことなのだとしたら、僕らの生まれてきた理由って何なんだろう。進化の上で突然変異には重要な意味があるけれど、そもそもDNAを運べない変異って無意味過ぎない?
一昨日、マイノリティの割合の話を書いたけれど、左利きでも、AB型でも、異性愛者であれば子供はつくれます。じゃあ、僕らは一体、何のために生まれたんだろう。DNAのエラー、つまりホモサピエンスという種の失敗作なんだろうか。ホモなのに。
・・・そんなことを考えて、夜も眠れなくなってしまったわけです。
そんでもって、ここからは高校生らしいと言えば高校生らしいのですが、それからしばらくの間、僕はちょっとだけ自暴自棄になりました。遅めの反抗期。生物の授業がきっかけでグレるなんて、今思えばなかなかのレアケースなんじゃないでしょうか(笑)
僕はその悩みをしばらくの間抱えていたのだけれど、数年後に、ひとつの解決にいたりました。
人間は、ほかの生物とは異なり、個の連続性ではなく、社会的な総体として進化していく種なのだ、ということです。
つまりどういうことかというと、例えば「船」を発明した人間がいたとして、その技術が社会の中に受け継がれる限り、人間は「船で海をいく」能力を獲得します。必ずしも、「船」を発明した人間が子供を残したかどうかは関係ありません。これが「社会的な総体としての進化」です。
僕はアインシュタインと血縁関係はありませんが、一般相対性理論を知っています。そこにDNAが介在する必要はありません。
一方、クジラは牛の仲間から進化したと言われていますが、長時間海を泳ぐために、数万年かけて次第に鼻が頭の上のほうに移動する進化をしています。これは、個の連続性によって種が進化した例です(※この例えは何かの本で読んだんですが・・・引用元を思い出したら追記します)
要するに何を言いたいかといいますと、
人類の歴史に意味のある爪痕を残すことができたのなら、僕という存在は人類という種の中で意味を成すのだ
ということです。
生きてていいんだ。頑張ったら意味あるんだ。
この納得のおかげで、グレかけていたコウタ少年は、全力で自分の夢を追いかけようという方向に軌道修正することができたのでした。
めでたし、めでたし。
僕はダーウィン問題(笑)で2年ほどグレましたが、願わくば、このブログにたどり着いた同じ悩みを抱える少年少女たちの助けになれたら、これほど嬉しいことはありません。
はじめまして!
返信削除共に新着サイトにあったのを見て、拝見しました。
プロフも拝見し、ここでは書きませんが
「おっ!」と思うことがあり、おじゃましています
記事に関してですが
少年少女ではない俺ですが (笑)、そうだなと思います
人というもの(人だけじゃないですけど)の価値は
「存在=いのち」としての価値だと思います
同じいのちの価値に、理由なんかなく、ね
肉体がある、ないに関わらず、それぞれに存在する価値
ゲイという種は、贔屓目に見て、素敵な存在だし
みんないてくれて、ありがとうです ( ^ω^ )
おじゃましました★彡
銀河さん、コメントありがとうございます!
削除「おっ!」と思われたこと、何でしょうか?気になります(笑)
命の価値というものについて、大人になって世界の見かたが広がれば多様な価値観から評価することができますが、若い頃には往々にして視野狭窄に陥りがちで、残念ながら若くして自ら命を絶ってしまうセクシャルマイノリティの方もいると聞きます。
そんな悩める若人たちに、LGBTの命も、等しく人類という種の中で意味があるんだと理屈っぽく書いてみました(笑)
みんないてくれてありがとう、という感謝の気持ち。素敵ですね!